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어느 바텐더의 날들
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ラウンド・ミッドナイト [ 2007.07.09 ]
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ひと息ついて時計を見上げると二本の針は真上を指していた。
深夜零時、今夜も静かに日付けが替わる。
こんな夜更けでも街から人影が消えることはない。残業で遅くなった人達、勤務時間帯が元々そうである人達、そして飲み続けて日付けをまたいでしまった人達。
バーフライと呼ばれる人間がいる。バーで飲むことをこよなく愛し、バーからバーへと夜な夜な杯を重ねてまわる。バーとバーテンダーの情報をよく知っており、バーでの過ごし方にも手馴れているためバーテンダーにとっても親密で、敏感で、面白い存在だ。
直訳すれば「バーカウンターにたかる蝿」。あっちの店からこっちの店へとフラフラちっとも座の落ち着かない様を、少しの皮肉と愛情を込めて例えている。
そんな愛すべきバーフライにも例外はある。先程から玄関脇に大きくはめられたガラス越しにこちらを覗き込んでいる男がいる。街灯を背にして顔は定かではないがきっとA氏だろう。この種の直感が裏切られた試しはない、残念ながら。
見えなくても僕にはわかった、湿気の多い媚びた皺を目元に浮かべ、ニタッと笑っているのだ。知らず溜め息が漏れた、何回繰り返せばいいのやら・・・
A氏が来店するようになって十年近くが経つだろうか。彼は確信的な依頼心型で酒癖が悪く、一度飲みだすと止められなくなる上、構い続けていなければ何をしでかすかわからない。 僕はこれまで何度注意し、叱りつけ、なだめ、送り帰し、追い出したことか。
案の定、A氏は済まなさそうな風を取り繕いながら、ドアを開けて入って来た。いつも通りに僕との儀式を始める。飲み過ぎているようだから今日は帰って下さい、どうやら今夜のAさんに出せるお酒は無さそうだ。
今日は飲んでないよ、いや酔ってないよ。
駄目なの、入っちゃ駄目ですか？
僕はそんなに悪い人間ですか？ 僕が嫌いなんですか？
お願いですから、ちゃんとしますから・・・・・・
もう50歳に手が届くというのにプライドのかけらもない、酒気を帯びた息を吐きかけながらA氏は執拗に迫ってくる。 同じ男として、堪らないやる瀬ない気持ちになる。
そんな心の揺れを見透かすように、A氏はいつもスルリとカウンターに取り付いてしまう。
今夜もやられた。
そして、臆面もなく口にするのだった。
「ラウンド・ミッドナイト、あのカクテルを作ってよ、僕はあの曲が好きでね。なんだかピッタリでしょ、僕に。だから、カクテルのほうも飲むの。」
「飲むのじゃないですよ、駄目です。出しませんよ。今夜も結構飲んでいらっしゃるでしょ。 ノン・アルコールのカクテルをお出ししますから、休憩したら家へ帰って下さい。」
「じゃあさぁ、キック抜き（アルコール抜き）でラウンド・ミッドナイトを作ってよ。あれを飲めないと帰れないの、僕は。」
「出来ませんよ、ご存知でしょ？レシピ。 お酒を抜いては作れないですよ。」
「え～～、じゃあ、帰れないなぁ、どうしたらいいのかなぁ？」
「・・・・まったく、何回申し上げればいいんですか、あんな目に遭ってもまだわからないんですか？」
1年前、酔っ払ったA氏は地下鉄の階段を転げ落ち、重傷を負い入院。利き腕の握力を失い、仕事を失い、退院した頃には妻も子も去り、まともな生活と言えるものの全てが彼から消えてしまっていた。
それでもA氏は変らなかった、変れなかった。
社会復帰するよりも先に街へと繰り出し、以前と同じ様にさ迷い歩き、バーからバーへと自分を甘えさせてくれる場所を探しては飲み続けている。
「いいですかAさん、もう貴方にお出しできるお酒はないんです。 僕は金輪際、Aさんにお酒を作らないことに決めました。 何故か解りますか？」
「僕が酔うからですか？ そんなのお酒を飲んで酔うのは当たり前じゃないの、君こそ何を言ってるの、甘いこと言うねぇ。」
「甘いのはAさんでしょう。今まで僕は何回同じことを言いました？Aさんは僕と何回約束しました？もうお酒に溺れないから、もうしないからって。覚えてないとは言わせませんよ。」
「ん～～、そんなに強い人間ばかりじゃないのよ、誰にだって酔いたい日はあるじゃない。僕は弱い生き物なのよ、冷たいこと言わないでよ。」
「いいえ、自分で立とうとする人には手を貸せますが、立つ気のない人を支え続けることは出来ません。それが解らないAさんにはもう付き合いきれません。お帰りください。そして、二度と来ないで下さい。」
「ん～～、偉っそうに、偉っそうに、ん～～ん～～・・・」
A氏は口先を尖らせてンーンー唸るが、座を立つ気配を見せようとはしない。これもいつものパターンなのだった。
甘ったれの子供のまま大きくなってしまった男。
さて、「ラウンド・ミッドナイト」は、セロニアス・モンクが作曲したジャズの名曲である。後にマイルス・デイヴィスが演奏して有名になったのだが、カクテル「ラウンド・ミッドナイト」は、このマイルスのアルバム・ジャケットからイメージして創作された。
深く沈みこむ赤、もしくは静かに燃える黒。
そんな色合いに、ウンターベルク等の薬草系リキュールとベースのアクアヴィットが絡み合い、複雑な香りとほのかな甘みのするカクテルである。
A氏はその味もさることながら、「ラウンド・ミッドナイト」というネーミングに強く惹かれるらしかった。
夜は巡る、夜を巡る、夜の回り道、夜は回り道。
はっきりした意味は解らないがイメージはそんなところか。そんなイメージがあるからこそ、人生に溺れたがっている人間には作る気になれない。自分を泳ぐ気概のある人にこそ飲んでほしいカクテルなのだ。
「さぁ、そろそろ行きましょうかAさん。アルコールが欲しいならアルコール屋さんに行って下さい。立てますか？お送り致します。」と言いながら、僕はA氏の肘を掴み上げてドアへ向いた。渋々と立ち上がるA氏。半ば強引に外へ連れ出してから、真っ直ぐにA氏の目を見詰めた。僕の本気を伝えるため、もう次は無いんだと刻み付けるために。
これも何度目になるだろうか。
A氏は上目遣いに身を屈め、精一杯恨めしさを伝えようとしている。どうやら今夜も空振りらしい、彼の目には一欠けらの光も見当たらない。
虚しさが、靄のようにアスファルトから立ち昇り、僕を犯した。
A氏は何度か振り返り、「不満だ」と念を送ってきたが、やがて街の闇に溶けて消えた。
見えなくなるまで見送ってから、僕はカウンターに戻った。するでもなくしないでもなく、仕事をして閉店までの時間をやり過ごした。
答えはいったいどこにある？
僕は店のシャッターを閉め、家路を背に、朝焼けの射し込む街の暗がりを拾い歩き始めた。
溺れてしまいたい衝動を抑え、うまく泳ぐことが出来るだろうか、虚しい自問を繰り返しながら、止まり木を探して街へと溶けてゆく。
ラウンド・ミッドナイト
夜にさ迷い、夜とさ迷う。 夜をさ迷い、夜はさ迷う。
Columnist, Hiroki Sakajiri
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